有機栽培と自然栽培と慣行栽培の違いは
奇跡のリンゴの木村秋則さんの栽培法を説明しようとした『すごい畑のすごい土』(杉山修一・著 、幻冬舎新書)では、慣行栽培と有機栽培と自然栽培の違いをリンゴ栽培のゲームに例えて説明しています。慣行栽培は、化学肥料と合成農薬の装備を使って生産者が中心的プレーヤーとしてゲームを支配します。有機栽培は、装備をより自然な素材にするが、生産者が中心的プレーヤーとしてゲームを支配するのは同じだと説明します。これに対し、自然栽培は、プレイヤーではなく監督としてゲームに参加するという位置づけです。ゲームのプレイをリンゴ園にすむすべての生き物に任せるスタイルで、有機栽培との距離は少し離れている説明です。
一方、自然農法の普及に取組む木嶋利男さんは、有機農法は自然農法とほぼ同じ考え方と捉えています。木嶋さんは『伝承農法を活かす家庭菜園の科学』(講談社ブルーバックス)など著書も多く家庭菜園をやっている人でもご存じの方も多いでしょう。
どう理解すればいいのでしょうか?
さらに、前に紹介した『小農はなぜ強いか』で守田志郎さんは、有機農業という言葉はあまり使わないようにしていたといいます。なぜなら、有機農業と声高に言うことは、化学肥料の農業は有機物と完全に無縁になっているかのような受け止め方になってしまうから。どれほど化学肥料だけしか使わずにやっているとしても有機物の助けを借りないとできないので、すべて有機農業のはずだと説明します。
また、余計に作物を作らないといけないとするなら、肥料や農薬の助けを借りたほうがよいこともある。大切なのは、それらを目の敵にするのではなく、自然の営みと循環をぶち壊さないように使用することであると守田さんは説きます。
一方、自然農法に対しても、それが「自然の中に身を沈めるという考え方」であるなら、それは叶わないと言います。なぜなら、人間は農耕を始めた時、自分を自然から引き離し自分だけは自然の一部ではないと宣言してしまったからです。自然の営みを、人間が軸になって上手に繰り返させていくのが農業だと明言します。人間(生産者)はプレーヤーということになります。
何が何だか分からなくなってきましたが、ざっくりと今の私なりに理解すると、化学質資材を有機質資材を置き換えるぐらいの考え方で進めると「有機栽培」は「慣行栽培」に親しい。循環を理解し踏まえながら進める「有機栽培」は「自然栽培」に親しい。
ようき農園のスタンス
ようき農園のスタンスは、循環を理解し踏まえながら進めていきますが、それに〇〇栽培とか、無〇〇栽培、〇〇農法、無〇〇農法というような名前は当分つけないでおこうと思います。しっくりくる名前が浮かんでくるまでは。もっとも、〇〇を確立するのが目的でも、強いて〇〇を入れる必要性もありませんね。循環を壊さないように、体に良くて美味しいものができれば、どんどん取り入れていけばいいかぐらいのスタンス(循環を壊さないようにするためにこそ、幅広く奥深い知恵が必要)です。