農園はじめて物語

ようき農園主:有賀知道

南牧村が一躍有名に

「消滅可能性都市」で南牧村は一躍有名になりました。『中央公論』の2014年6月号(2014年5月発売)に消滅する市町村523全リストが掲載され、そのトップが南牧村です。

そのリストを発表したのは、日本創生会議(増田寛也・座長 )の「人口減少問題検討分科会」で、「人口の再生産力」に着目した試みです。

ただ、公共団体名を名指しで公表したため、その反響は大きくトップの南牧村だけではなく、消滅可能性都市の中には豊島区も入っていて騒いでいたのも記憶に新しいところです。もっとも消滅可能性自治体は5割近いのですから、局所的な悪さを競っている場合でもなく、日本全体で見ても南牧化は避けられないようです。

ともあれ、これ以降南牧村への注目度はすごいものになります。

これまでメディアに取り上げられることなどなかったものですから、注目されて浮足立ってしまうのも仕方がないことです。高齢社会や限界集落、過疎地、田舎の代表のような扱いです。何か大したことでなくてもすぐにメディアで取り上げられる状況です。メディアで取り上げてもらえるようにあの手この手でやっている地域からすればうらやましい限りでしょう。

そのとき東京で仕事をしていた私は、チャンスだと思いました。いくらいい商品やサービスでも知ってもらわなければ始まりません。南牧村は知ってもらう作業がそうとう楽な場所になった、と。もちろん内容のないものをいくら知ってもらっても意味はありませんけどね。

あまり騒がないで(残りも短いのだから)静かにしておいてくれという村民が大勢としても、注目されることで消滅しづらくなる面も多少はあるかもしれません。市町村合併で隠れてしまったが、注目もされずに南牧村よりも酷い状況のところも多いと思います。

注目を契機に何も展開できずに、浮足立っていただけで何も残っていないことにならないようにしたいものです。

自営自足を商標登録

高齢化率日本一になってビジネスがやりやすくなると感じる前から、南牧村出身の田舎者にとって東京はずっといるところではないように思えていました。仕事をするにしても東京でやるよりも村でしたほうが存在意義があるとも思っていました。

私たち夫婦は2018年6月、住居を東京から、私の生まれ故郷である南牧村に移します。その1年以上前から物件を探していて、スムーズに村に戻るために最初は2拠点居住から入ろうと考えていました。ただ、都会と田舎のいいとこどりというスタイルは性に合いそうもないし、現実的になると何かと面倒くさそうだったので、完全移住することにします。

私は2002年にインターネット関連サービスで事業を起こし、どこにいても仕事ができるようにしていたので問題はありませんでした。

村に戻っての展望は、それほど現実的に考えていたわけではありません。ただ、東京にいる時からコンセプトはありました。それが自営自足です。自分でつくった造語です(いいのが浮かんだと思って商標登録までしてしまいました!)。

自力で稼ぐ力を持ちつつ(自営)、一方で、貨幣にばかり依存しないで生活(自足)する流儀を指しています。自給自足をもじっているわけですが、自給自足だと閉じられている感じもしますし、貨幣経済の中にいる以上、自給自足だけでは難しい。何かしら稼ぐ必要がどうしてもでてくるからです。

特に、南牧村は高齢化率日本一の消滅可能性自治体です。誰かに頼っていても仕方がありません。自営できれば鬼に金棒です。

地方再生でよく、移住者促進のために雇用の場をつくってやらないとダメだみたいなことが言われます。たしかにその通りですが、補助金がなくなったら終わりではたまったものではありません。移住者も右往左往だし、村にも何も残りません。

注目度が高くなったとは言っても、南牧村のような限界集落で雇用の場をつくって移住してもらうのはなかなか大変です。すでに稼ぐ力を持っている人に移住してきてもらえないかな。こうした人は補助金があろうがなかろうが居続けられます。そのためには、その人たちが魅力に感じる何かしらのコンセプトがあったほうがいい。自営自足はそのためにならないかと思ったりしています(何せ自分が都会にいた時に魅力的だと思って考え出したコンセプトなので)。独立心旺盛な若い人にも訴える力を持っているコンセプトでもあるかもしれません。

ともあれ、都会で仕事中心の生活をして、お金を稼いでも高い家賃と外食代、お金がなければ生活もままならない状況にいるよりも、所得は低くなっても田舎で地に足を付けた生活をしたいと思っている人も多いだろうから、先んじて実現させてやるぞ、と。

まずは自足で守りをかためる

さて、移住当初からテレワークで仕事をしながら、南牧村での自営自足をどう展開させていくのか準備してきました。

自営は攻めで、自足は守りです。貨幣経済の中にいるので、いくら自足で守りを堅めようがお金は必要です。でも守りが堅ければ、安心して攻められます。何はさておき、自足です。必要なものを、できるものから自給あるいは、人のつながりの中で調達する自足的な暮らしです。

ということで、まずは基本の農作物栽培の理解と実践です。田舎者ですが、これまで畑作業も栽培も、そもそも土いじりさえしたこともなく虫も大の苦手ときたもんです。実践とは言っても、最初はプランターで土いじりです。いくらでも周りに畑があるのにプランターかよ、と言われそうですが仕方ありません。少したって畑を借りて作物を作るようになったとき、一番最初にジャガイモを栽培しましたが、種イモを植えてジャガイモの芽がどうやって地上に出てくるのか知る由もなく、スギナをジャガイモの芽と思っていたとは恥ずかしくて周りの人には言えません。最初はそれぐらいでした。

都会の人が農をやるとすると、有機栽培や自然農、自然栽培に行こうとするように、私たちも薬は使わず、肥料もあまりやらない方法から入りました。これが良かったのは、心理的な敷居を下げてくれたことです。土と鍬や鎌そして種、苗を用意して、農薬はもちろんんこと耕耘も肥料も除草もそんなにやらなくてもいいよ、という感じだったので。

ただ、耕作放棄地を借りて畑にするような場合が多いわけですが、そうなると放置していては作物は育たないし、草、害獣、虫にすぐやられてしまうこともすぐにわかります。

植物の理解を深めつつ、いろいろ試してみて自分たちのスタイルを作っていくことになりましょう。

(ちなみに、ようき農園は、お客さんと直接つながる方法を中心に据えますので、お客さんの支持が一番得られるように、なるべく薬に頼らないで、健康的な作物をつくるよう取り組みます)

そんなこんなで、移住して4年経過し、作物もいろいろ作るようになり、お金はかなり使わなくなってきたのは間違いありません。

ようき農園の誕生

都会から南牧村のような田舎に移住して自営を考える場合、「仕事を移す」「仕事を創る」「仕事を引き継ぐ」という視点で見れば広がりがでてきます。都会で培ってきたもので田舎で仕事をするのが「仕事を移す」です。

2022年3月、東京での事業を後任に譲りテレワークを終了します。これで「仕事を移す」という自営が終了しました。そして、いよいよ「仕事を創る」という自営に入ります。

村においても稼ぐという意味合いを出すため、「自営自足プランニング株式会社」という会社運営にしました。

こうして自足を延長させたところの事業化として「ようき農園」が誕生しました。今後も南牧村の資産をいかした事業も考えますが、「ようき農園」は自営自足プランニング株式会社の中核事業の位置づけです。